人工知能がもたらす本当の脅威
人工知能についていろいろ考えを巡らせる日々を送っている。
・・が、ひとたび職場に赴けば、依然として平成どころか昭和の香のする
旧態依然の仕組み、考え、しきたりだらけの世界で生きることになる。
そんな世界で日常生活の大半を過ごしていると
本当に感覚が麻痺してきて、
やれ「人工知能」だ、「自動運転」だ、「シンギュラリティ」だ、
と聞いても何も感じなくなってくる。
よく人工知能に職を奪われるだ、AIに人間は支配されるだ、と言われている。
しかし、本当の脅威は、職を奪われることよりも、人工知能によって伸びる世界と
その恩恵を享受できない世界とに二分されてしまうことではないのだろうか?
そして今以上に大きな格差の世界の中で否応なく暮らしていかなければ
ならなくなる、ということにあるのではないだろうか。
されとて、一介の会社員が組織が将来あるべき姿を憂い、
変革を志し、それを実行に果たすために必要な労力は想像もできない。
とにかくその労力の費用対効果は悪すぎるように思える。
なんというか、義務感とか、危機感とかからではなく、
もっと自然体に、肩の力を抜いた方法はないものか?
あわてない、あわてない
一休み、一休み
あせると、胡散臭い話にのりやすくなる。
はしらず、とまらず、少しずつ
便利なサービスを生み出すのは人工知能ではない
YouTubeでAmazonGoのプロモーションを見た。
利用者の利便性を思っても、それを可能にしたテクノロジーのことを考えても
「すごい」の一言だった。
重要なのは利用者が「どれだけ便利か」を重要視した結果のシステム利用だな
と思った。
私はコンビニでもスーパーでもレジ待ちが嫌いで、ほんの数人でも
ストレスを感じてしまう。
3~4人以上いるときは、しかたなく、店内を再度物色するのだが、先日のスーパーでは物色を終えてレジまで来るとレジ待ちの人数が倍以上に
なっていて、うんざりした。
実現したいサービスやアイデアがあっての人工知能だと改めて思う。
私にはそれがない。
生きるための義務としてのたわいのない仕事と、
そこからなんとかよりよい道を開きたいという思いがあるだけだ。
自分のやりたい仕事を人工知能を使って作り出せたら最高
最近人工知能関連の書籍を何冊か読んだが、大別すると3点分けられる。
1、人工知能に仕事が奪われます、さあ大変!と危機をあおるもの。
2、人工知能を著者自身の得意分野に絡めて紹介、宣伝するもの
3、人工知能といっても完ぺきじゃないし、うまく人間と協業すれば
人間にとってもいいことの方が多い。
3の書籍にはいろいろと考えさせる点、学ばされる点が多い。
人間がさらなる高みを目指せるはず。
人工知能を使うことで人間の可能性を広げられる、という考えが好き。
結局人工知能がでててきて、現状の仕事が無くなったとしても
新しい仕事が生まれてくる。過去の歴史を振り返ると、なんとなくそう思える。
平凡なサラリーマンの自分はそこで考える。
これからの人工知能時代において、
平平凡凡かつそれなりにやりがいを持ってサラリーマン人生を送るには何が必要か?
つまるところそれは、現在の、そして昔からのサラリーマンと同じだった。
それは、自身が所属する組織の目的とルールの制約のなかで
いかに、自分の価値観や、やりがいに沿った仕事を作り出せるか、
ということ。
個人的には、たとえ組織の中の仕事でも、
自分の提案した仕事に取り組む時は充実感がある。
というわけで、自身の好みに沿った業務提案をしてくれる
人工知能が今後求められるかもしれない。